-
1946
ご存じですか? 社名の由来
当社の社名が「大成建設」となったのは、1946(昭和21)年のことです。GHQが財閥解体を指令し、産業の再編に乗り出すなか、「大倉財閥」という財閥色を少しでも薄めようと大倉喜七郎や幹部役員たちが決断したのがこの社名変更です。「大成」は創業者である大倉喜八郎の戒名「大成院殿禮本超邁鶴翁大居士」に由来し、「衆の長所を集めて一大長所をつくる」という「集大成」の意味を持ち、完全に成し遂げること、多くのものを集めてつくりあげることに通じることから、当社に最もふさわしいとして採用されました。「建設」は土木・建築の両方を表す英語の“Construction”から訳出したもので、社名にこの言葉を採用したのは当社が初めてであり、やがて他社もこれに倣うようになりました。
-
1949
法務庁庁舎(復旧)
東京
-
1950
1955
東京国際空港ターミナルビル
東京
1956
広島県庁舎(本館)
広島
業界初の株式公開
戦後の経済復興に伴って受注高が急伸するなかで、工事の大規模化や機械化に伴う資金調達が大きな課題となっていました。こうした経営環境の変化もあって、1956(昭和31)年、当社は建設業界のトップを切って株式公開に踏み切りました。公開に先立ち、当時の担当常務であった水嶋篤次は、社員に次のような内容の文章を送っています。「株式が公開されれば、会社の盛衰、一進一退ことごとくが株価に反映する。ここで一層戒心自重の上努力し、会社を良くするように心がけないと恥を天下にさらすことになる。いままでのようにおっとりしておられない。こうした点にも株式公開は深い意義がある」。当社の株式公開後には、各建設会社が次々に株式を公開するようになりました。
-
1958
大手町ビルヂング
東京
1958
旧国立競技場
東京
1960
1960
浅草寺風神雷神門
東京
1960
岩洞ダム
岩手
1961
関西電力黒部川第4発電所
(第5工区)富山
1962
ホテルオークラ
東京
1962
日本二十六聖人記念館
長崎
1962
ホテルインドネシア
インドネシア
1962
北陸本線北陸トンネル
(第3工区)福井
1964
ホテルニューオータニ
(現 ザ・メイン)東京
1964
富士山頂レーダー基地
静岡 山梨
1964
東京カテドラル聖マリア大聖堂
東京
1964
日本高架モノレール羽田線
(第1・第3工区)東京
日本初の超高層ビルの建設
1964(昭和39)年8月、1,000室超の大型ホテル「ホテルニューオータニ」が竣工しました。建物は17階建て・最高高さ約72mで、従来の剛構造建築では建てられる高さに限界があったため、新たに柔構造理論(鉄骨の柱や梁で地震の揺れをしなやかに受け止めて建物の破壊を最小限にする理論)が採用されました。折しも建築物の高さが百尺(31m)以下と定められていた法律も改正の運びとなり、建設省(現国土交通省)に設置された高層建築物構造審査会の認可第1号、柔構造理論による構造審査第1号として建設されました。最新の理論と工法を駆使して当社の設計・施工で日本初の超高層ビルが完成しました。ここで得られた建築技術は、新宿副都心の超高層ビル群にも次々と採用され、幅広く普及していきました。
-
1965
NHK放送センター
東京
1966
国立京都国際会館
京都
1967
上越線新清水トンネル
(第3工区)群馬 新潟
1969
電源開発 大津岐ダム
福島