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1872
新橋停車場
東京
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1873創業
1879
宮城集治監
宮城
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1880
1883
鹿鳴館
東京
1887
皇居奥宮殿表御座所
東京
1889
大阪天神橋
大阪
錦絵になった大成建設の仕事「鹿鳴館」
明治の外国貴賓とわが国の華族、高官との社交場として一世を風靡した鹿鳴館は、ネオ・バロック様式を基調とした、レンガ造り2階建ての美しい西洋館です。設計は、当時工部大学校(現・東京大学)の教授として英国から招かれていた建築家ジョサイア・コンドル。大倉組商会で政府御用を手広く請負っていた大倉喜八郎は、新たに「土木用達組」を設立してこの施工を担いました。総工費は14万円でした。鹿鳴館は1940(昭和15)年に解体されましたが、芥川龍之介の『舞踏会』や山田風太郎の『エドの舞踏会』などで往年の華やかな雰囲気を偲ぶことができます。
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1890
1890
帝国ホテル 初代本館
東京
1890
琵琶湖疏水閘門
滋賀
1899
日本勧業銀行本店
東京
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1900
1909
逓信省庁舎
東京
1909
王子製紙千歳川第1発電所
北海道
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1910
1915
大倉組本館
東京
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1920
1923
帝国ホテル 二代目本館
(通称ライト館)東京
1924
関西電力大井発電所
岐阜
1926
聖徳記念絵画館
東京
1927
大倉集古館
東京
1927
祇園閣
京都
1927
東京地下鉄道(上野-浅草間)
東京
外国人の知恵を借りずにやりなさい
1927(昭和2)年、現在の東京メトロ銀座線、上野~雷門(浅草)間(2.163km)に日本初の地下鉄が開通。工事を請け負ったのが当社の前身である大倉土木でした。第一次世界大戦後の不況、関東大震災後の経済的混乱や技術的にも多くの困難が予想されるなか、大倉喜八郎は「この工事は引き受けなさい。外国人の知恵を借りずやりなさい」と社員を激励しました。工法は地面を掘り下げてトンネルをつくり、完成後に埋め戻す開削工法が採用されました。前例のない工事でしたが社の全力を挙げて取り組み、無事完成させました。
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1930
1933
名古屋市庁舎
愛知
1933
東京帝国大学医学部
東京
1936
川奈ホテル
静岡